この物語はフィクションです

実在の人物、団体とは関係ありません。

卵の雑炊

かぜをひいたときのルーチンがある。

うなだれて、熱をはかって、会社に連絡し、プリンを買う。卵の雑炊をつくってたべる。

風邪をひいたときにプリンを食べないことはないし、会社に連絡しないこともない。つまりは、ほとんど平日にしか風邪をひかない。

そんな都合のいいことあるか、とも思うだろうが、毎度熱をはかっているので間違いない。仮病でないという意味合いでは。

これにはキチンとした理由がある。実のところ、これは風邪ではないのだ。

私は小学生の頃からよく知恵熱をだす子だと言われていた。それでしばしば学校も休んだ。

実際、熱はよくだした。体がぽかぽかして、頭がぼんやりする発熱。あたたかい身体で、柔らかい布団にくるまって食べる怠惰なプリンがこの上なく好きだった。

ところで、知恵熱の定義を知っているだろうか。乳児が出す熱で、原因不明の短期間で治るものらしい。私は乳児では無いが、インフルエンザばりの高熱でも翌日にはケロッとしていることがままあった。薬も飲まず、不可解な高熱が一日でひくことが何度も続いた結果、この不調は母から「知恵熱」と呼ばれることとなり、私もそれに倣った。

学校を早退するのに親の付き添いが不要になったころ、知恵熱に規則性があることに気がついた。

一定の精神的負荷がかかった時に、発熱をしやすかったのだ。コンクール前とか、やたら怖い先輩と関わらなくてはならないとか、たぶん怒られそうな時とか、全部投げ出したくなってしまったとか。

最初に気づいた時は「なんてずるい発想なんだ」「そんなことであれば熱が出ていても多少の無理は必要だ」などと考えたものだった。

しかしながら、そもそも私は休むのが下手だ。発熱の原因が多少不純なものであっても熱が出たなら休むべきだし、他人が休んでいなかったら理解できないと思う。休めよ。

最近の私は自分に甘くなった。自分に対してちゃんと「休めよ」と言えるようになった。度胸のない貧弱な精神が休むことを許さないのであればと、身体が休むための大義名分を作ってくれているのである。

今日は、うなだれて、熱をはかって、会社に連絡するところまでは済んだ。あとはプリンと卵の雑炊を食べるだけだ。