この物語はフィクションです

実在の人物、団体とは関係ありません。

君の人生の責任を分けてくれませんか

わたしは、私の何もかもを決められない。

今までの人生で自分で決断しなかったことなど、一つもないはずなのに三十路を目前とした今でさえ、私はなにも決断できない。

実際、自分で決断したことなどほとんどなくて、親の言う「自分の人生なのだから、なにがあろうと決断には全て責任を持て」と言われてきたことが呪いとなっているだけなのだろう。他人のせいにする、という能力が欠如した結果、背負い込まなくても良いものまで背負っているだけだ。

一方で責任を持つこと、それ自体を美徳と思っている自分もいる。悪いことが起きたとき、他人のせいにしない。スマートな生き方だと思う。自分をすり減らしているとも思うが。

私は休日の過ごし方すら決められない。誰かに誘われれば外に出たかもしれない。誰にも誘われなければ、部屋で芋虫になっているだけだ。決められないから趣味もない。薦められたものはやってみる。熱中するだけの熱量がないから飽きるのも早い。続かない。

仕事は好きだ。なんの決断もいらない。目の前の仕事に忙殺されていれば時間は過ぎるし、万一決断が必要な場合は、法令遵守、一般的に、それが良いとされる方を選べば良い。しかしながら、二次会の店を選べ、なんて仕事は嫌いだった。決断ができないからだ。

恋愛ごとも比較的すきだ。全部自分のせいにしてしまえば美徳となる気がしたし、大概は盲目になっていて決断力なんてものは-普段それができる人でさえ-ほとんど機能していないのが分かるから。

ただ、恋仲になるとしばしば私の背負ってる責任モドキを分けてくれという人が現れる。これはなかなか厄介で、私の背負っているものは結局「モドキ」であるので、実のところ分け与えられるような責任は何もないのである。唯一確かに背負っているのは私の命だけだ。

私の命の責任を他人に分け与えることは、ちょっと恐ろしくて考えられない。自分の生きたいときに生きて、死にたいときに死ぬ。それができなくなることを考えるとそれだけで鳩尾のあたりがグッと苦しくなる。いつか誰かのために生きて死ぬ、なんてことをしたくなるのだろうか。考えるだけでゾッとする。その責任の在り処が、相手に行ってしまうことを考えると。私はそんな責任は生涯持ちたくないと思う。少なくとも今のところは。そんな覚悟、婚約が破談になった時にドブに捨ててしまったのだ。