この物語はフィクションです

実在の人物、団体とは関係ありません。

割れた茶碗

お茶碗を投げて割った。そして声をあげて泣いた。

綺麗に割れたそのお茶碗は、たかがお茶碗なのだが、ただのお茶碗ではなかった。


4年前、うちには100円ショップで買った最低限の食器しかなかった。だから彼が転がり込んで来た時もグラスが1つしかなくて、しばらく冷たい飲み物を飲むのに私はマグカップを使っていた。

食事にも食器にも興味がなくて、割ってしまっても落ち込まない、洗うのが面倒になったら捨てても良いと思えるくらいのものを使っていた。

良い食器を知らなかったわけではない。祖母は質の良い食器を集めるのが好きで、縁が薄くて口あたりがよく、手に馴染む食器を使って育った。だから一人暮らしを始めたそのときに買った食器がひどくチープで、いかに荒っぽいかは使ってみてすぐに分かった。分かったが、どうでもよかった。ただ本当に無関心で、無精だったのだ。


彼と一緒に暮らし始めてから、私のコンビニ弁当生活に変化があった。申し訳程度に料理をするようになったのだ。しかしながら料理は本当に嫌だった。料理をするのが嫌なのではなく、自分が作ったものをだして、お腹を壊したらとか、まずかったらとか、不安が尽きないから自分が触った食品を他人に食べられるのが本当にイヤだった。

それでも彼がしきりに目玉焼きを作れというから、目玉焼きは作ってやれるようになった。目玉焼きの作り方は知っていたし、作れないわけでもなかった。

そんな風に躾けられて、いつのまにか出来合いの惣菜を買うよりも自分で料理をすることが多くなった。


台所に立つようになってしばらくした頃、ふと食器の重さが気になった。私の食器がそうであったように、彼の食器も100円ショップで購入したものだった。

私の向かいに座ってにこにこご飯を食べる彼を見て、ちゃんとした食器を使って欲しいと思った。きっとそのほうが美味しくご飯を食べられるだろうから。

思い立った次の日にお茶碗を2つ買ってきた。特別高価な食器ではなかったけれど、うちで初めての軽くて手に馴染む、100円じゃない食器だ。

ついでに自分のお茶碗もお揃いで買った。それまで使っていた食器は、同じ100円ショップで買ったにもかかわらずお揃いですらなかった。お揃いの食器をレジに持っていくのは、想像していた10倍照れくさかった。


だからってその日からめちゃくちゃご飯が美味しかったとか、そんなことはない。ただちょっとだけ私が彼と家族に近づいた気がして嬉しくなった、それだけだ。


そのお茶碗を投げた。特別な理由があったわけでもなく、ただ情緒が激しく揺れてしまったから投げた。

茶碗は当然割れた。あっけなく割れた。

彼が私の誕生日にハンバーグを作ってくれたりだとか、私が米を炊くのが苦手だから炊飯は彼がよくやってくれただとか、そんな思い出がフラッシュバックした。

食事の記憶は、毎日積み重なっていく。彼との日々が、あっけなく割れて終わりが来てしまったように感じて、割れた茶碗を見て泣いた。

実際、彼とは少し前に別れ話をしていた。一緒に食事をとることはあっても、そこにいるのは彼氏でも婚約者でもなくなっていた。名前のない関係の、ただ大切な人がそこにいるだけだった。割れた茶碗を見て彼も泣いた。それを見て我にかえった。


割れた茶碗は元に戻ることはない。断面で指を切ったりすると危ないから、その日のうちにゴミに出した。コンビニの袋に入った割れた茶碗を右手に、左手は彼に手をつないでもらってゴミ出しにでた。私たちの関係が割れてしまっているのか、割れてないのか、私には分からなかった。


それから毎日泣いている。